1923年生まれと言うからマックス・ローチよりも年上ではあるものの
フィリー・ジョー・ジョーンズの名が知れ渡ったのは
50年代半ばのマイルス・デイヴィスのクインテットに迎えられてから。
言ってみれば“遅咲きのドラマー”だったわけだが、それからの活躍が凄い。
こう言うドラミングを求めていたんだ! とばかりに、多くのプレイヤーが
フィリー・ジョー・ジョーンズをセッションに招き、彼もそれに応えて
天衣無縫そのもののスティック・ワークで、あらゆるソリストの
闘志に火をつけた。
まさに“ハードバップ界の名盤製造器”と化していたフィリー・ジョー・ジョーンズだが
リーダー作も58年の本作、59年のビッグバンド作品『ジャズ・アラウンド・ザ・ワールド』、
60年の『フィリー・ジョーズ・ビート』と言う具合に順調にリリースしている。
中でも本アルバムはフィリー・ジョー・ジョーンズによるドラキュラ伯爵のモノマネで
幕を開けるという移植の構成と、カラフルなジャケットで人気が高い。
フィリー・ジョー・ジョーンズに煽られてジョニー・グリフィンもナット・アダレイも
終始、ハイテンションだ
ブルース・フォー・ドラキュラ/フィリー・ジョー・ジョーンズ
ブルース・フォー・ドラキュラ に加筆・修正を加え転載。
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